ほうほう、こんなことだったですね。
たいぶ昔に習ったことだから忘れてしまっていました。
舒明天皇の皇子で、母は皇極天皇。正妻は異母兄弟の古人大兄皇子の娘・倭姫王。中臣鎌足らと謀り、クーデターを起こして蘇我入鹿を暗殺し、叔父の孝徳天皇を立てて自らは皇太子となった。そして大化という元号を制定し、様々な改革を行ったとされている(大化の改新の中心人物、乙巳の変)。
百済が660年に唐・新羅に滅ぼされたため、朝廷に滞在していた百済王子・扶余豊璋を送り返し、百済復興を図った。百済救援を指揮するために筑紫に滞在したが、661年、斉明天皇が死去した。その後、長い間皇位に就かず称制したが、663年、白村江の戦いで大敗を喫した後、大津へ遷都してそこで即位した。白村江の戦以後は、国土防衛の政策の一環として水城や烽火・防人を設置した。又、冠位もそれまでの十九階から二十六階に制度改革などを行っている。また、670年には我が国最古の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成させている。
天智天皇は、息子の大友皇子に皇位を継がせたかったと日本書紀は伝える。しかし、天智の死後に起きた壬申の乱により、弟の大海人皇子(天武天皇)が勝利して即位した。以降、天武系統の天皇が孝謙天皇(のち称徳天皇として重祚)まで続く。称徳の死後、天智の孫白壁王が光仁天皇として即位し、それ以降は天智系統となる。
大海人皇子から額田王を奪ったという話も有名だが、事実ではないという説もあり真偽ははっきりしない。
万葉集に4首歌が伝わる万葉歌人でもある。小倉百人一首でも平安王朝の太祖としての敬意が張られ、冒頭に以下の歌が載せられているが、本人が歌った歌ではないとの説もある。
秋の田のかりほのいほの苫を粗みわが衣手は露にぬれつつ
万葉集からも以下の一首。
香具山は畝傍を愛しと耳成と相争ひき神代よりかくなるらし古へもしかなれこそうつせみも褄を争ふらしき
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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